子供の頃の目線では、髪が薄い人を見ても、わざとやっているものと思っていました。しかし、自分の父親の頭頂部が薄くなってきたのを見て、わざとじゃないんだと思ったものです。ただ、私の父親が肉眼で薄毛とわかったのは、50歳を過ぎてからでした。おまけに薄毛と言っても、そんなに目立ちません。私のおじいちゃんに関しては、きれいな白髪です。自分が思春期になった時は、整髪料で前髪を固め、かっこをつけ、20歳を越えて学生、社会人の仲間入りをした時は髪をいじりまくりました。
茶髪にもしましたし、クセ毛だった私はストレートパーマもしました。飲んで深夜に帰宅し、整髪料を付けたまま、寝てしまった事も数知れずです。ダメージヘアになってしまう事は、一通りやった記憶があります。それもこれも自分が薄毛になるとは夢にも思わなかったからです。むしろ、若い頃は少し目上の人に対しても、薄毛の人を悲哀な感覚で見ていた気がしています。自分とは違う人と言う感覚でいました。しかし、30代後半に薄毛の兆候が私にも見えてきたのです。結婚して10年が過ぎて、子供二人にも恵まれ、家族としての幸せを感じている時でした。
家族旅行での海で珍しく子供達とはしゃいでいる私の姿を妻がビデオで撮影してくれました。楽しい家族旅行のビデオを家で見ようとテレビに接続し、見た瞬間、絶句してしまいました。海で濡れた私の髪がぺたっとなっているのです。そして、何と頭頂部が薄くなっていました。私は愕然としました。若い頃、あれだけ見ていた鏡もここ数年、見ていなかったので、気がつきませんでした。しかも、頭頂部です。まったく気がつきませんでした。当たり前の話ですが、妻はもうかなり前から知っていました。
しかし、私の落胆な思いと妻のあっけらかんとした感じの温度差に気がつき、妻にこのショック加減を話してみると、まったく気にしていない様子でした。むしろ、歳を重ねれば、頭も薄くなるよと達観していました。それでも、薄毛の自分は嫌だと、その時は思いました。何が嫌かと言えば、子供の前では、いつまでも若々しいパパでいたかったからです。内面は勿論ですが、子供の目線の格好良さはやはり容姿です。
その容姿で一番、大事な髪が薄いと言うのはショックでした。それからと言うもの、シャンプーも育毛系に変えたり、自分で頭皮マッサージをしたり、食に気をつけたりといろいろ試したりしました。しかし、薄毛の進行は遅らせられても、薄毛を直す事は出来ません。本気で直すなら、治療が必要です。しかし、そんなお金もありません。そんな時に、まあまあ長めの髪型だったキャリアを捨て、薄毛だから、敢えてショートヘアにして見ました。
すると、家族に大好評で、特に子供達には、大反響でした。子供達にとっては、薄い云々は関係なくて、似合う髪型かどうかの方が重要だった様です。それ以降、割り切る様にしました。薄毛なら似合う髪型にすればいいですし、かっこいい帽子でおしゃれをすればいい。そう思わせてくれた子供達に感謝です。