現在58歳の男性で薄毛というよりハゲに近い頭髪ですが、今まで生きてきた中で髪の毛について考えてきた時間でかなり無駄にしてきているなと思っています。
亡くなった親父もサザエさんの波平さん並の頭髪でしたが、亡くなる前まで気にしていた気がします。生前毎月床屋さんに行っていましたが、切るほど髪の毛がないのに不思議に思っていました。
親父ほどではないですが頭頂部は禿げてきていますが、側頭部の毛は伸びてくるので定期的に切る必要があります。以前床屋に行ったときに髪を短く切られたことが原因で今は妻に切ってもらっています。
高校生の頃は天然パーマで髪の毛が膨れた状態でしたのでそのころに髪の毛のエネルギーを使い果たしてしまったのかなと思っています。そのときに親父は禿げていたのでバカにしていましたが、親父は若いころの俺にそっくりな髪の毛だといって笑っていました。今にして思えばその通りになっているので悔しい思いをしています。
20代の頃から薄毛になってから一日たりとも髪の毛について考えないことはありません。同世代の人と並ぶと年寄りに見えることや若い女性と話すことも億劫になるのもすべて髪の毛のせいです。あるときから鏡をみないようにしていますが、パソコンのモニターに写っている姿や窓ガラスに反射してくるので嫌でも目にしてしまいます。
お笑い芸人が薄毛を自慢にして笑いにしているのを家族は笑っているのであわせて笑いますが少し複雑な気はしています。
薄毛は病気ではないので健康に影響がないといいますが、心の病気の一因になっていないはずがないです。芸能人の中でも鬘を使用している人もいるかと思いますが、見た目が大事なのは一般人でも同じだと思っています。
子供からは薄毛のことをよく指摘してくるので笑って対応していますが、他人方言われれば腹が立つことは間違いないです。
薄毛だとくしゃくしゃな服装だとだらしなく見えるので常に気を遣っていますが、もっとラフな服装をしてみたい欲求はあります。
もうすぐ60代なので家族からは年相応じゃないかといわれますが、職場を見回すと同世代で禿げている人と何ともない人の割合は禿げている人の方が少ない気がします。この歳でも若いころと同じ量の髪の毛がある人をうらやましくもあり不思議な気がしています。不公平感があると思っているのは禿げている人の共通の認識であることは間違いないです。
一日でいいので髪の毛がある生活を実現できるのであれば、高いお金をだしても良いと思っています。